舌のゆるい自分には、うまいビールがあるんじゃなくて、うまいビールにするもんなんだ。とマントラ唱えつづけた昼さがり。「なにやってんすか」でも「あほか」でもなく「ずるいなぁ」と言われ、ひだまりの猫のようななんともいえない居心地だった。
運とか縁とかって、説明図式としては確かに便利だけど、そこにすべてを放り込んだらシンポがない。いやぁ、今日は楽しかった。会えてよかったです。それでいいじゃん。
あつかった(共感。リアリティと共同体意識)。
塞翁もびっくり。Life goes on.
石橋を渡るまえに、叩いて叩いて跡形なくなるまで叩きつくして、せいせいとした矢先にはっとする。
まるい、できれば真円の、それでいて重なることのない文章だけがいい。ということを最近考えていたら、次元をいじくってくれたひとがいて難しくなった。
寒がりな自分だけど、もう袖をまくるほどでない。それだけで眼に風がいたい。
祖父が山に登りたいと言いだした。○○を上から眺めたい、と。その人は頭山のような顔で身体もずんぐりしており、ほんとうの祖父ではなかったけれど、どうしてか祖父以上に血の親しみを感じた。祖父はいきなり走り始めた。それを追ううちに、自分が故郷の目抜…
チョココロネの食べ方にも哲学がある。小一時間議論したけど意見はまとまらず、検討を重ねるうちにくしゃくしゃになってしまい、結局、「なにも考えずふつうに食ったほうがうまい」。
ある種の人々が知らない土地に行くと必ず大衆酒場に行くように、またある種の人々が知らない土地に行くと必ず女と寝るように、僕は知らない土地に行くと必ず走る。「走りごこち」という基準によって、はじめて理解できるものも世の中にはあるのだ。 村上 春…
法然院道にでた。ところどころに山椿の赤い花が落ちていて、場違いなあざやかさだった。新緑の山中で、不気味ですらあった。一首拾い上げて嗅いでみると、むかし隣家に住んでいたおばあちゃんが思い出された(萎れた花の香るひとだった)。 花は、哲学の道か…
あほが加速する。あらかじめごめんなさい。
昨日は悲しみを受けいれようとカバンと、あまつさえケーキまで買ったのに、そうでもなかったうえに杞憂に終わった(「意外と調子いいんだな」)。ニンニクは好きだけど、ニンニクは嫌いです。そう言えたらどれだけ楽か。
この2〜3年の間さき延ばしにし続けてきた宿題に手をつけ始めた。来週には提出しなければならない。まだ漠然としている。いったい今まで何をしてきたのだろう。歯のない婆さんは「うまいなぁ、なんぼでも食えるわ」と言いながら鍋をすすった。ビールもねだ…
サクラやらセイヨウなんたらやらが花やいでいる河川敷で、泰然と無骨さを貫いているあなたはすてきです。
同じことなら、自分らしく散ろうと思った。てかTINA。
やっぱり傘は億劫だ。
ずっと昔のことだけど、比叡山を登っているときにふと、そういえば雪かきをしたことがないなと思った。なんということはなく、ある種の言葉づかいに対してはセンシティブで、というより言葉が能天気に実体からふらふらと遊離していく感じが好きでないので、…
すべての手は本質的に悪手という考えかたをする。将棋ってのは駒の初期配置が理想的で、それが少しずつ崩れていくプロセスのなかでのやりとりなんだと。そういう引力。はい正当化。
五分咲きくらい?空間を小気味よく切りとる音がいい。
"2:37"→『明日、君がいない』にせよ"Un Couple Parfait"→『不完全なふたり』にせよ、ミニシアター系配給のネーミングセンスにとき折見られる遊びゴコロがうれしい。良し悪しはおいといて、カタカナの羅列じゃあ品がないでしょう。
捕獲。眼なんかは愛らしいけど総体としては生きもののグロテスクさで、まだバケツに放り込む気になれない。じいっとこっちを見ている。いや待て、単純に時間が必要なんだって。
もし事実の現象形態と本質とが直接に一致するものならばおよそ科学は余計なものであろう。 マルクス 60年代に生まれていたとしても、身の丈にあう楽しみ方をしてたんじゃないかと思ったりする。Bill Evans然り、フォークルセイスターズ然り。
理想的な反面教師だ。戒め戒め。
ビタミン剤の袋が喰いちぎられているのを発見。どうりでいい動きするわけだ、あのラット。
袖を引く小さな娘にせかされながら社殿に手をあわせる母親の姿がずしっと、でも美しいと思った。
こんなんとかこんなん、おもろい。Francis Kéréさんのプロジェクトは学校建築というより、それを軸にした村落開発みたい。こういう取り組みを草の根レベルから拡げることできないのかなぁと妄想。 追)建築のせかいには疎いのだけれど、social responsibilit…
ハビエル・バルデムといえば、安楽死の長回しにはうたれましたね。ありゃあきれた。
これ、こうして切りとってるからきれいなんです。
禁を解いた。所詮は枯れた思い入れだ。 春だからってのはよしておこう。常春の国々にも彼らなりの事情があるはず。