「卵と壁」は現象だと考えられるけど、一方で、頭んなかの観念という解釈も可能です。だから、「卵の側にたつ」ということは「卵の側に立とうとし続ける」ことでもあり、その意味では、静的な状態というよりは内的過程なのだと思います。ええと整理するとこうなるけど、直載に言われると横っ面はたかれる感じです。

Keep building me up, then shooting me down

温度計はマイナス10度を指していた。やっぱりね。さっきから足先の感覚がなかったんだ。窓枠の水滴はつららになって、吹雪を受けてかたかた鳴っていた。私はなんとか呼び覚まそうと、親指と人差し指をしきりに擦りあわせていたが、お互いが何か固いものにぶつけられているような感触であった。いつもは無頓着なのに、こういうときに限って現金なものだね。休んだ拍子に親指が皮肉をささやき、私は聞こえないふりをした。かたかた。たしかに、最初に裏切ったのは私のほうかもしれない。かたかた。それだからこそ、ひきずってでも私の身体でいてほしいと願い、こうやって同じ動作を繰り返しているのだよ。かたかた、かたかた。やがて音が遠くなる。

今日は死ぬのにもってこい

打水の音と柔らかい日の光にまどろみながら、起きようかないやあと少しなどと逡巡しているうちに、玄関のチャイムが鳴って、出てみれば起きぬけの来客は早口でまくしたててきた。

「おはようございます。突然ですがいま世界は大変な不幸に包まれていると思います。連日報道される、戦争、貧困、環境破壊どれもが人間生活の根幹を揺さぶっています。数えきれないほどの命が失われています。これは、私たちが神の教えに背いていることのあらわれではないでしょうか。こうした時代だからこそ、聖書の教えに戻るべきだと思います。これ、差し上げますので読んでみてください。さようなら。」

はいさようなら、と合の手を入れる暇も彼女は与えてくれなかった。出来れば話したかったのに。寝ぼけ眼でもらったパンフに目を落とすと、でかでかと「目覚めよ!」と書かれてるのが目について、ぶれかけた朝がひとときにおさまったのでした。

ちぎれた空の波間から

琵琶湖から虹が昇るのを見ました。初めてそれを見たというひとの吃驚する表情を撮っているうちに、肝心の虹はトンネルに隠れてしまいました。



                                            蛇谷ヶ峰

Dont try and change my tune

長野の親戚に蕎麦をつくっているひとがいます。親戚間でたまに集まりがあっても、お互いほとんど顔をださないようにしているので、あまり、というかほとんど面識がありません。相手のことはほとんど知らない。寡黙な人です。結婚式かなにかで同席した折りに、沈黙を分かち合うことが苦にならない人という印象を受けました。

日常生活のなかで彼のことが脳裏をよぎるということはまずありませんが(私もそれなりに追われる生活をしています)、そろそろ彼に関する記憶の引き出しを古びた倉庫にしまっておこうかしらと思いだす頃合いになると、決まって木箱に敷き詰められた蕎麦が送られてくるのです。ぴっちりと切り揃えられた30束の蕎麦は、おじさんの存在を、寡黙にものごとに向きあうことの大切さを、静かに主張しているように思われます。メッセージは添えられていません。おじさんなりに男の一人暮らしを気にかけてくれているのかもしれません。

食にルーズな私は、その仕送りが届くと食生活のパターンを蕎麦適応型に切り替えることにしています。米は視界に入れません。米食う暇があったら蕎麦食えという話で、その声は私のなかでマントラのごとく鳴り響くのです。業務用スーパーで売っているめんつゆの特大パックを2本くらい仕入れてきて、毎日毎食蕎麦漬けの生活の開始です。朝起きて蕎麦を食べ、蕎麦湯をすすって一日を終えます。栄養が偏らないように、薬味と添えものの野菜には気を配りましょう。蛋白源は卵から。そのようにして続く10日から2週間の食生活を制限した日々は、抑揚のないリズムに割りこんでくる不協和音で、乗りきったあとはなかなかすっきりするものです。

しかし、今回ばかりは勝手が違いました。ありていに言えば、私は蕎麦が手元に届いたときそんな気分じゃなかったのです。これまで私とおじさんは疎遠な仲ではあっても、このタイミングに関しては不思議なほど息が合っていて、私は受け取ったその日からすんなりと生活スタイルをシフトすることができました。私としては、暗黙の了解が成り立っているものと勝手考えしていたのです。だからといって、おじさんがこのジャンキーな気分真只中に蕎麦を投下してきたことを恨めしく思うのは、こちらの身勝手というものです。私はもやもやを抱えたまま、いつものように自分の食生活に制限を課しました。

今思うと、最初にボタンをかけ違えたことを認識しておきながら、そのずれがいつか消えることを夢想しつつ行程をすすめたことが私の敗因でした。最初から感じていた違和感は消えるどころか、私のなかで肥大しつづけたのです。だんだん蕎麦を噛むときの感覚や出汁の匂いが耐えられなくなっていきました。私は自分を乗り越えようと努めました。この寒いなかざる蕎麦をあつらえて、あまつさえ練りわさびに忌避感を覚えるのを恐れて自分で磨いたりしました(なかなか楽しかったです)。私はその日を乗り切りました。しかし、新月はまだまだ遠い。私は早くも限界を感じていました。こってりしたものを口にしたかったのです。何度も何度も匠味に行こうかと思いました。しかし、おじさんのことを思うと暖簾をくぐるわけにはいきませんでした。発想の転換が必要とされていたのは明らかでした。私はインスタントのパスタ用ミートソースを手にとりました。




私は何度も何度も謝りました。家族、友人、先輩後輩、自分の人生から過ぎ去っていった人々。何について誰に対して謝罪すればいいのか見当もつかず、なにを言っても届かないような気がしました。湯切りを怠ったためにでろっとなったその塊を、私の本能は明確に拒んでいました。むせかえる臭いです。器を前にして私は混乱し、錯綜しました。そもそも箸をつかえばいいのか、フォークのほうがいいのか。両方試してみましたが、それぞれしっくりきませんでした。私はそれと格闘するのを諦めると、床に腰を下ろして両の腕で膝を抱えこみ、私を生かしてくれているすべてに謝罪するとともに、感謝のことばを捧げました。


要訳)
年越し蕎麦を食べ忘れたことに気付きました。そういえば最近蕎麦食べてません。どなたかご一緒いたしましょう。

What more could anyone want??!

http://video.google.com/videoplay?docid=-3634664472704568591


cited from Davidson Films, "MARY AINSWORTH: ATTACHMENT AND THE GROWTH OF LOVE"



この実験をアフリカのどっかの国でやったら、母親のほうが未婚の見知らぬ女性と子どもを一緒の部屋に入れるのをいやがったそうです(笑)文化の違いはむずかしい。