Dont try and change my tune

長野の親戚に蕎麦をつくっているひとがいます。親戚間でたまに集まりがあっても、お互いほとんど顔をださないようにしているので、あまり、というかほとんど面識がありません。相手のことはほとんど知らない。寡黙な人です。結婚式かなにかで同席した折りに、沈黙を分かち合うことが苦にならない人という印象を受けました。

日常生活のなかで彼のことが脳裏をよぎるということはまずありませんが(私もそれなりに追われる生活をしています)、そろそろ彼に関する記憶の引き出しを古びた倉庫にしまっておこうかしらと思いだす頃合いになると、決まって木箱に敷き詰められた蕎麦が送られてくるのです。ぴっちりと切り揃えられた30束の蕎麦は、おじさんの存在を、寡黙にものごとに向きあうことの大切さを、静かに主張しているように思われます。メッセージは添えられていません。おじさんなりに男の一人暮らしを気にかけてくれているのかもしれません。

食にルーズな私は、その仕送りが届くと食生活のパターンを蕎麦適応型に切り替えることにしています。米は視界に入れません。米食う暇があったら蕎麦食えという話で、その声は私のなかでマントラのごとく鳴り響くのです。業務用スーパーで売っているめんつゆの特大パックを2本くらい仕入れてきて、毎日毎食蕎麦漬けの生活の開始です。朝起きて蕎麦を食べ、蕎麦湯をすすって一日を終えます。栄養が偏らないように、薬味と添えものの野菜には気を配りましょう。蛋白源は卵から。そのようにして続く10日から2週間の食生活を制限した日々は、抑揚のないリズムに割りこんでくる不協和音で、乗りきったあとはなかなかすっきりするものです。

しかし、今回ばかりは勝手が違いました。ありていに言えば、私は蕎麦が手元に届いたときそんな気分じゃなかったのです。これまで私とおじさんは疎遠な仲ではあっても、このタイミングに関しては不思議なほど息が合っていて、私は受け取ったその日からすんなりと生活スタイルをシフトすることができました。私としては、暗黙の了解が成り立っているものと勝手考えしていたのです。だからといって、おじさんがこのジャンキーな気分真只中に蕎麦を投下してきたことを恨めしく思うのは、こちらの身勝手というものです。私はもやもやを抱えたまま、いつものように自分の食生活に制限を課しました。

今思うと、最初にボタンをかけ違えたことを認識しておきながら、そのずれがいつか消えることを夢想しつつ行程をすすめたことが私の敗因でした。最初から感じていた違和感は消えるどころか、私のなかで肥大しつづけたのです。だんだん蕎麦を噛むときの感覚や出汁の匂いが耐えられなくなっていきました。私は自分を乗り越えようと努めました。この寒いなかざる蕎麦をあつらえて、あまつさえ練りわさびに忌避感を覚えるのを恐れて自分で磨いたりしました(なかなか楽しかったです)。私はその日を乗り切りました。しかし、新月はまだまだ遠い。私は早くも限界を感じていました。こってりしたものを口にしたかったのです。何度も何度も匠味に行こうかと思いました。しかし、おじさんのことを思うと暖簾をくぐるわけにはいきませんでした。発想の転換が必要とされていたのは明らかでした。私はインスタントのパスタ用ミートソースを手にとりました。




私は何度も何度も謝りました。家族、友人、先輩後輩、自分の人生から過ぎ去っていった人々。何について誰に対して謝罪すればいいのか見当もつかず、なにを言っても届かないような気がしました。湯切りを怠ったためにでろっとなったその塊を、私の本能は明確に拒んでいました。むせかえる臭いです。器を前にして私は混乱し、錯綜しました。そもそも箸をつかえばいいのか、フォークのほうがいいのか。両方試してみましたが、それぞれしっくりきませんでした。私はそれと格闘するのを諦めると、床に腰を下ろして両の腕で膝を抱えこみ、私を生かしてくれているすべてに謝罪するとともに、感謝のことばを捧げました。


要訳)
年越し蕎麦を食べ忘れたことに気付きました。そういえば最近蕎麦食べてません。どなたかご一緒いたしましょう。