山口昌男『アフリカの知的可能性』より

ユングフロイトの)「内なる自我」に関する諸概念の中で特に共通した一点があるとすれば、それはこれらの深い次元での自我は目的性を持つということである。それらは何らかの意味で目的性をもった「内なる自我」によって見られた世界、すなわち日常経験の世界を越えた世界の観念につながる。…ほとんど他の思想において、この観念は「現世拒否」的考え方を含むのに対し、アフリカ哲学においては…必ずしも「現世拒否」の思想が正面に出ていないということができる。…とりもなおさず、そのような方法がアフリカでは個人の思考に任せられるというより文化のなかに制度化されているということを意味する。したがってそれは、文化のなかに生きている人間にとって分析され改めて体系化される必要のないものである。それは儀礼行動、無数の象徴、神話、芸術としてカイロスの時に真に生きるものとして存在しているのである。


あっちの(村の)ひとたちと接していて、なんの前触れもなく「あれ、いま自分気が張ってるのか」と気づかされることが度々だった。ある種の出来事に対してそれは質を変えて感心となってあらわれ、ひとくくりにノスタルジーと表現しようとして笑われた。遅まきながら、一歩前進。