speaking words of wisdom

コルカタ市街にあるとあるヒンドゥー寺院に供物にする山羊の首切りを見物できるところがあって、観光客がじりじりと暑いなかショーが始まるのを今か今かと待っているところへ引っぱりだされてきた山羊、見ていて気の毒なほど気が張っていた。周囲の興奮を感じとってか、肉を強ばらせてその場を徘徊し、ときおり足をぬっての脱走を試みては連れ戻されていた。あの儀式にどのような意味があったのかは覚えていない。ただ、豊穣や天候を祈ってのものにしては結構な頻度で結構な数を屠っていた記憶がある。屍体にしても、首は近所の子どもたちのサッカーボールになっていたし、肉はよく肥えた犬たちががつがつやっていた。血の匂いがむっとたちこめるなか、ひどい虚しさだった。ということが、moraigeroについて思い出しているうちにふと連想された。どちらも希少な体験だったけど、そういうことじゃない。